自然に礼儀をつくす

「しーっ、静かに。植物が耳を傾けて聴いている」

【半径10m no.1】

造園科~ドロップアウト

ようやく庭にも春色の宴の季節がやってきた。家からガラス越しに見えるユキヤナギが、枝の先に白い花をつけている。庭ではホトケノザの赤紫色の小さな花が、足元を楽しげにしてくれている。この花の蜜は甘く、これからの季節は多くの虫たちを誘惑することだろう。常緑樹のトネリコはケルトのシンボルみたいな渦模様をした、茶色の小さな新芽を出している。

 

ぼくは大学は農学部造園科を選んだ。造園科を志望したのは、ぼくが欲張りだからだ。自然の働きが学べ、人間と自然の関わりを学べ、さらにデザインも学べる。自然と関わりたかったのは、月島という埋立地で人工的な場所で生まれ育ったことも一因だと思う。当時は1971年に宇井純の「公害原論」が話題となり、日本でもレイチェルカールソンの「沈黙の春」の世界がリアルになってきていた、そんな時代だった。

 

 

大学は、植物生態学や庭の伝統的な「見立て」、また西洋や東洋の自然観についての科目、デッサンやデザインなど面白い授業もあった。しかしそれ以外で自分が知りたかったことはあまりなく、もっぱら専門書が充実している構内の図書館へ通っていた。

 

学外でのぼくの世界はいっきに拡がっていった。オルターナティブな世界に触れ、そうしたコミュニティに出入りしていた。食事はマクビオティックに変わり、太極拳も習い始めた。本格的にバンド活動も始めていた。けっきょくぼくはこの大学生活に見切りをつけて3年で中退。いわゆるドロップアウトだ。そして一年後、インド、中東へ旅に出ることにした。

 

 

庭師修行

翌年日本へ戻り、緑の多い横須賀へ引っ越した。横須賀のある三浦半島は、ほとんど杉やヒノキの植林がされておらず、今でも落葉樹や広葉樹自然が多く残っている。引っ越してからしばらくして、庭師をやっているという人と知り合った。「庭仕事は樹木と対話しながら瞑想的なときを過ごせる」という彼の詩的な話しを聞いているうちに、自分も庭師をやってみたくなった。大学での不全な感じが、そこで満たされる気もした。

 

家からバイクで15分ほどのところに、昭和初期から続いている造園屋さんがあり、そこでぼくの庭師修行がはじまった。修行期間は3年間。庭師修行といっても、すでに音楽活動をしていたし、ひょんなことから逗子と鎌倉で太極拳教室も始めていたので、通えるのは週に2日程度だったが。

 

現場となる庭はだいたい鎌倉方面だ。鎌倉は土のすぐ下が岩盤まじりの所が多い。たとえば大きな樹木を植え替えるには、自分がすっぽり入ってしまうほどの穴を掘らなければならないが、堅い土にスコップを突き刺してもカツンとはじき返されてしまう。

こんなところをどうするんだろうと見ていると、先輩庭師はおかまいなしに掘っていく。真似して思いっきりやってみると脳が揺れるようで脳天まで響く。それでもコツがつかめるようになると、岩盤まじりの堅い土も砕きながら掘れるようになる。

 

初めてまもなく、現場で太いクギを踏み抜いてケガをしたことがあったが、「新海さんはまだ足の裏に眼がついてないな」と親方に笑われてしまった。これも一年ほどたってみると、そうした不注意のケガはほとんどしなくなった。親方がいうように、半眼程度だが足の裏に眼がついたのかもしれない。

 

庭師はいろいろなことをする。

庭の石組みや石垣、池作りなど、機械が入れない場所での土木作業。

外回りの水道工事や、塀づくり、テラス作り、ちょっとした小屋を作るなどの大工仕事もする。

高い木に登って、ロープで自分を縛りつけて太い枝を切り落としたり、忍者まがいのこともする。

 

週2回程度で3年というのでは庭師修行としては十分ではない。造った庭の植栽が3年後、6年後にどうなっているか。そうしたことを経験しないと一人前とはいえないからだ。それでも、短いながら貴重な体験をさせてもらったと思っている。

 

自然を驚きをもって観察すること、風雅を楽しむこと、職人の心意気などなど、学んだことは多かった。

 

 

まず、人より早く自分の墓穴を掘ることができる。これは冗談だが、ぼくは都会からつかず離れずのところで古い一軒家に住んでいるので外仕事も多い。ここでの田舎暮らしに必要な技術を、人生の早い段階で身につけられたことは、とてもありがたいことだった。

 

たとえば水漏れの修理では、ほんの少しでも隙間があると水は止められないが、これをピタッと止められたときの達成感。この快感を知った。

田んぼで米作りを始めたときも、土になじんでいたので作業が楽に感じた。

また庭師にとって杭打ちは日常的な作業なのだが、そのおかげで、餅つきのときには粘りの強いおいしい餅をつくことができる。これはちょっとした自慢だ。

 

 

自然に礼儀をつくす

ぼくの恩師である吉福伸逸さんも、なんでも自分でやってみたいという性分だった。

ハワイに移住してからは、森へ続く家の敷地を開墾して菜園を作ったり、

自分の書斎を何ヶ月もかけて一人で建て増ししたりしていた。

裏庭を望むその書斎の窓はかなり手の込んだ造りをしていておどろいた。

 

体を動かし、外で作務のように庭仕事や畑仕事をこなす日々を送っていた吉福さん。

彼の晩年の思想の背景には、情動とともにこうした身体性がセットになっていたように思う。

 

そんな吉福さんが生前、こんなことを話してくれた。

「植物はいろんなことを教えてくれる。植物と触れ合っているだけで、世界で起こっている出来事がすべてわかるんだよ」

「根本はとてもシンプル。自然に礼儀をつくすこと」

 

 

たしかに植物のことを知れば知るほど、植物は自己と他者、環境と緻密な関係をつくりあげている。

世界を読み解く秘密の鍵は、じつは彼のいうように目の前の庭にあるのかもしれない。

 

造園科でいくらか学び、庭師修行もやってみて、少しは自然との接し方を知った。

それから40年近く、半田舎暮らしをしている。

しかし改めて、もっと真摯に植物たちのおしゃべりに耳を傾けようと決意した。

 

 

もう少し温かくなれば、春のあいだだけ見かけるビロードツリアブが登場する。 毛ダルマのようなかわいらしい姿で花々を飛び回る。庭の梅の花の蜜を吸っていたツグミもそろそろシベリアへ帰っていく。そして目には見えないが、土の中では植物たちの周到な準備がすでにまっているだろう。

 

「しーっ、静かに。植物が耳を傾けて聴いている」

 

 

アウェアネスアート®研究所 主宰  新海正彦

 

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