北極星が真上に見える場所
極寒の地 チャーチルへ
チャーチルという小さな街はカナダのハドソン湾の西に位置している。住人の約半数は、カナダでFirst Nationsと呼ばれている先住民の人たちだ。チャーチルへ行くには、バンクーバーから飛行機でウィニペグ空港まで2時間半。ウィニペグ空港からプロペラ機で4時間半、直行便があれば2時間半で着く。鉄道だと2泊3日だ。しかしこれは天候に大きく左右される。
チャーチルはハドソン湾で一番最初に結氷する。そのため10月中旬から11月中旬の一時期、ホッキョクグマがエサのアザラシをもとめて数百頭が集まってくる。観光客が訪れるのはこの時期に集中する。ぼくがチャーチルにいったのはそのオフシーズンだが、季節はずれというのはかえって本来の姿を見せてくれるところがある。
チャーチルへは飛行機で行くことにした。出発時刻になったが飛行機が故障して修理中とのこと。ようやく3時間ほどして飛び立った。修理したばかりの飛行機でツンドラの上を飛んでると思うとなかなかスリリングな旅の始まりだ。後で知ったのだが、次のチャーチル行きは悪天候のため1週間後だったというから、飛べただけでもラッキーだ。
チャーチルに到着して最初に驚いたのは風の強さだった。飛行場の建物から出ようとしても、突風でドアを押し返されてなかなか開けられない。この風は小さなチャーチルの街へ着くとさらに強まっていた。ハドソン湾からの吹く風と共に、なにか丸いものがカラカラと勢いよく転がっていく。一つ拾って手にとってみると、ピンポン玉より一回り小さくて中が空洞の氷だった。押すとクシャっと簡単につぶれる。海の泡なのだろうか。
この街を歩いているとなんとも言えない気配を感じた。これは以前にも感じたことがある。
新潟にある山岳信仰の八海山尊神社の祭儀の、前日のことだ。その気配は尋常ではなかった。
この神社では年に一度、修験者が全国から集まる「大火渡り祭」が行われる。その前日の昼間に神社へいったのだが、大祭の準備はすでに終わっているようで誰もいない。あちこちに結界がはってあり、空気がピシッとしていて雰囲気が明るい。陽射しの強さだけではない明るさを感じた。境内を歩いていると体が浮くように軽い。チャーチルで感じたのはこれと同じ気配だった。
ちなみに、大祭当日にはこの気配がなくなっていた。たしかに巨大な火渡りの炎は迫力があったが、あの気配が感じられないなかでの祈祷や火渡りの行事は、ぼくにはただのイベントにしか見えなかった。
なにもない 豊かな土地
ハドソン湾の海は見渡すかぎり波の形のまま凍っている。海氷の上はゴツゴツしていて、防寒用の登山靴ではなかなかうまく歩けない。こんなところをホッキョクグマは、あの巨体で時速50km以上で走れるというから驚愕する。
息をハーッと吐いても、息は白くならずにわずかな粉がパラパラっと落ちるだけだ。とにかく外にあるものはすべて凍っているので空気はとても乾燥している。乾燥はあらゆるものを煮沸するかのように思えた。
この時期に開いているお店は3軒だけだった。ホテルの近くの地元のレストラン、メインストリートのはずれにあるスーパーマーケット、そしてクラフトやアートのギャラリーだ。ホテルには共同のキッチンがあり、他に客もいないので自由に使えるのがうれしい。 スーパーで食材を買ってきててここで食べたいものを作っていた。
この街の人はかなり無愛想だと思う。愛想がよかったのはシーズン中の観光客の接客に慣れているレストランの女性とクラフトショップのオーナーの二人だけだった。無愛想だけれど人がいいことは、少しいたらわかってきたが。それはともかく、きびしい生活環境でのなかで淡々と生きている人々の暮らしぶりにふれていくと、この地の本来の姿をすこし垣間見れた気がする。
もとはといえば、この極寒の地は、伝統的な生きる術を知っているFirst Nationsだけが住むことができる土地だった。
ここには何もない、きびしいだけの土地に見えるが、彼らからするとじつはとても豊かな土地なのだろう。
ここのアニミスティックなクラフトやアートには、自然の力をそのまま素直に造形したような力が溢れている。
その造形からはとてつもない精神性の高さ感じた。なにか大切な根源に触れていると感じさせる。
そうした力を与えてくれるこの地は、あらためて尋常でない気配を帯びた所なのだと思う。
チャーチルからさらに北へいけばナヌブト準州になる。ナヌブトはイヌイットの言葉で「私たちの大地」。1999年に誕生した。人口の9割近くがイヌイットの人たちだ。イヌイットは「人間」という意味である。ぜひ訪れてみたかったが、日に日に天候が不安定になってきたのでウィニペグへ戻ることにした。帰りもチャーチルの何もない飛行場で、出発が遅れて半日待たされた。
ネオ・シャーマニズム
ウイニペグでは市内にあるマニトバ州立大学に立ち寄った。
ここは60年代に端を発し、70年代に登場したネオ・シャーマニズムの一大拠点だった。
ネオ・シャーマニズムは、一言でいえばシャーマニズムに心理学的視点が持ち込まれたもの。つまり伝統的なシャーマンの異界探訪の旅に「意識」という視点が導入されたものだ。歴史的にみれば、現代精神療法のその源は原始治療にあったことを考えると、この関係は進展しながら一巡りしているようにも見える。
ネオ・シャーマニズムの研究者のなかには、客観的に研究するだけではなく、自己実験のようにみずからを投じてシャーマニズムのシステムを学んだ者もいる。「意識の在り様」という、とりとめのないことについて心が強くひかれ続けている自分には興味がつきない分野だ。
いまぼくの仕事場の頭上を見上げると、チャーチルで買った60cmほどの祭儀用のミニチュア皮舟が、天井から吊るしてある。
そして夜空を見るとき、チャーチルでは真上に北極星が見えていたことを思い出す。
アウェアネスアート®研究所 主宰 新海正彦