精緻なあいまいさ
silent passion No.02
ラヴィ・シャンカル in India
1979年の2月、インドのニューデリーでラヴィ・シャンカルのコンサートを観た。かれはインドの伝統楽器シタールの奏者で「古典音楽界の至宝」と言われている。ニューデリーの2月は一年のうちでもっとも過ごしやすい。演奏のスタート時間は夜7時。この晩も心地のいい風が吹いていた。 ぼくは会場へ6時半ころ入った。広いホールの中央に1メートルほどの高さの正方形のステージが設置されていて、四方から観れるようになっている。ラヴィ・シャンカルと3人の演奏家たちは、すでにステージ上でチューニングをしていた。 観客はほとんどがインド人で、皆ミュージシャンたちのチューニングに聞き入っていた。
チューニングをしては、リズムのない試し弾きをするというような時間がしばらく続く。8時ころになって、ようやくリズムにのった演奏が始まった。そこから真夜中まで数時間、波のように満ち引きを繰り返しながら、徐々に盛り上がっていく。演奏が熱を帯びてくるとともに、会場の雰囲気は逆に瞑想的になっていった。インド人の客たちは至福の法悦を感じているように眼をつぶり、顔に笑みを浮かべ、音に合わせてそれぞれ思い思いに手を上へ下へと動かしている。ぼくもこの雰囲気の中で異次元の感覚のようなものを楽しんでいた。
あいまいさの中にある精緻さ
ラヴィ・シャンカルが演奏しているのは北インドの伝統音楽でヒンドゥスターニーと呼ばれている。
北インドのヒンドゥー文化は、地理的に長い間、イスラーム文化などと異文化が交じりあった歴史がある。そのため北インドの伝統音楽は南インドと比べると自由度が高い演奏が特徴で、流動的なインプロヴィゼーション(即興演奏)のしめる割合が多い。
インド音楽と西洋音楽との違いは、使う楽器や旋律、リズムが違うというだけではない。もっと根本的な違いがある。
インドにもド・レ・ミ・ファ~と同じように、サ・レ・ガ・マ~という音階がある。けれどもその音階は西洋と違い、固定されておらず可変的だ。たとえばその違いを弦楽器で比較すると、ギターのネックには、フレットという金属の仕切りが、半音ずつの間隔で埋め込まれている。一方インドのシタールは、フレットをググッとずらすことができる。つまりドとレ、レとミなどの音の間隔を変えていく。
1オクターブの間を7分割したものをスヴェラというが、それがラーガという旋法ごとに、少しずつ微妙に音程をずらして変えていく。その上ラーガもまた可変的で数万通りもあるという。音程の正確さというのは、ある程度トレーニングすればわかるようになるけれど、ずれ具合を聞き分けるためには相当な訓練をしなければならない。
早い話がインド伝統音楽は、西洋音楽に慣れた耳にはすべてがあいまいで、しかもそのあいまいさには、精緻な法則があり、演奏家たちはそれに深く精通していなければならない。こういうことから、インド音楽を本格的に演奏することは並大抵のことではない。彼らがいうには、それらを学んだ上でもっとも大切にするべきことは、直観的なインプロヴィゼーションだという。
インプロヴィゼーションとは?
ラヴィ・シャンカルのコンサートでは最初、舞台上でチューニングをしていたと書いたが、チューニングしているように見えるのは、じつはその日の音楽の基点となる音を模索している時間帯だったのだ。これはアーラーブとよばれ、リズムやスタイルのない演奏をしながら模索をしている。全てがあいまいで可変的な北インド音楽では、その日の演奏家同士の在り様、その場所、そこの雰囲気、演奏する時間帯などのさまざまな要素を感じとりながら、そこで演奏する基点となる音を探っている。こうしてこの晩の演奏中に流れ続ける、基盤となるドローン(持続音)が決定される。
ラヴィ・シャンカルのコンサートでは、音を出してリズムが出始めるまでおおよそ一時間半、始まってから約4時間、観客はこうした流れそのものを楽しむのだ。北インドの伝統音楽は、インプロヴィゼーションの真髄がつまった音楽芸術なのだと思う。
インド国内でのラヴィ・シャンカルはインドでぼくがみたような長時間のコンサートを行っていたが、国外では違っていたようだ。ぼくは日本で2度ラヴィ・シャンカルのコンサートを観たが、いわゆるふつうの西洋的なコンサートの進行だった。かれらは開演時間になってからステージに登場し、すこしチューニングしたのち、次々と曲を演奏していく。終演ごはアンコールで再び登場するといった流れだった。
かれが世界で成功したのは、自分自身の音楽性を客観的にとらえているところだと思う。インドの伝統音楽をどうすれば西洋社会に受け入れられるか。その視点をもって海外のミュージシャンとも積極的に演奏活動を行い、さまざまな音楽的な工夫と自己変革をすることに情熱を傾けたパイオニアだった。
このように、ラヴィ・シャンカルはインド国内と国外での演奏方法を使い分けていたが、かれの真髄はやはりインド国内で行っている、時間をかけて気配をつくりインプロヴィゼーションしていくという形にあると思う。
卓越したジャズメンでスティーヴ・レイシーというソプラノサックス奏者がいた。かれはインプロヴィゼーションについて次のようなことを語っている。
「インプロヴィゼーションは境界に関係しているんだ。”知られざるもの”の淵にいていつでも跳躍にも準備をしておく。あとは知られざるものへ一跳びするだけだ。それこそがジャズの基盤をつくっているものだと思っている」
かれのいうことはインプロヴィゼーションという点でインド音楽に通低していると感じた。
アウェアネスアート®研究所 主宰 新海正彦